1999年がヨハン・シュトラウスⅡ世(ワルツ王)の没後100年でした。これを記念して、関西OB会では、ヨハン・シュトラウス父子の作品を男声合唱版で歌いました。
このページは、東京で開催されたアカデミカコール演奏会のプログラムをベースに編集されています。
左は、ドイツで発行された記念切手で、ワルツと、美しく青きドナウの自筆楽譜が図案化されています。
アカデミカコール演奏会(00/1/23)プログラム
第2ステージ: ヨハン・シュトラウス作品集より
- 美しく青きドナウ Op.314
作詞 Josef Weyl
作曲 Johann Strauss Ⅱ - 皇帝円舞曲 Op.437
作詞 Maria Volderauer-Schoepfer
作曲 Johann Strauss Ⅱ
編曲 Hans Heinz Scholtys - ラデツキー行進曲
作詞 Anton Weiss
作曲 Johann Strauss Ⅰ
編曲 Karl Friedrich Fischer
皇帝円舞曲 Kaiser-Waltzer
1848年、時のオーストリア皇帝の在位40年を祝う大舞踏会のために作曲されたとされる。本日の演奏するのは、後に合唱曲に編曲されたもので、歌詞は、「嬉しいにつけ、悲しいにつけ、我が愛するウィーン」といったウィーンへの賛歌である。なお、「皇帝」という名称は後に付いたもののようである。
歌詞概要
- どんなに私はウイーンを愛していることか
月光のもとでも 陽光のもとでも - ウイーンの森に新芽がふぶき 春を夢見る頃
私は賞賛の詩を書こうとしたのだが 今や断念した - 筆や紙は もう要らない 自由に明るく歌え
心に響くようにせよ それが本物の歌だ - ウイーンよ おまえが何度落胆させても
私はすぐに忘れる その美しさのために
(Coda)
月光は ウイーンを メルヘンの都市にする
陽光は そなたを 王国に変える
我が友よ 今日 歌おう!
憂いを 喜びを
ラデツキー行進曲 Radetzky-Marsch
"ワルツの父"ヨハン・シュトラウス一世が、帝国領イタリアを鎮圧したオーストリアの英雄ラデツキー将軍をたたえて作曲したもの。オーストリアの古きよき時代を思い起こさせる愛国行進曲。
毎年ウィーンで元旦に行われ、全世界にTV中継されるウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートで、観客の手拍子と共にラストを飾るアンコール曲としても有名。2000年元旦にも、ウイーン楽友協会大ホールから、リッカルド・ムーティの指揮で中継放送される筈である。
歌詞概要
(前 奏:D-durで開始)
夜の静寂の後に新しい日が訪れる時、
我々(軍隊)は朝靄に煙る町から行進して行く、フッラ(フレー)!
金色に輝く朝日が、牧場や畑や森を照らし出す。
ハイ、ユ、ハイ! 兵隊は強いし気楽だね。
春の大気に花の香り、朝の露に空の青さ、
それらは鳴り響き歌い出す、我等の耳に実に不思議な程に聞こえる、
何と喜ばしく平和なのか、我等の歌声は歓喜に満ちて高く響き渡り、
ヒバリの囀りと同じ様に、上方へ空高く舞い上がる。
その中を我々は前へ行進する、疲れを知らない、
快活な勇気をもって、前方へ進んで行く、フッラ(フレー)!
手は太鼓を素早く打ち鳴らし、ラッパ手は銀の輝きでもって、その音を奏でる。
ハイ、ユ、ハイ! 赤い血は体内を駆け巡る!
(間 奏:D-dur→A-durに転調)
窓から乙女がしばしばウィンクを送る、全く愛らしい様子で、
何と明るく彼女の目は見つめるのか、我々が(彼女の)前を通り過ぎる時に!
愛が芽生え、愛しい人よ、色鮮やかな軍服を激しく揺さぶる、
しかし我等の心の中には、(彼女の)誠実な心に対して、応える余地は無いのだよ、
私の愛しい人よ、トラララッ!
今日、彼女がそこにいる、一日だけの時も良くあるね、
特別なデリカシーで、対応してくれ無かった事は無いよね。
だから愛しい人よ、我々兵隊を見放さ無いでね、
例えガラス製であっても、兵隊の心臓はそんなに早くは壊れやしないよ。
(間 奏:A-dur→D-durに転調、コーダに入る)
我々は隊列を組んで出かけて行く、時が来れば激しい戦いに向かって進む、
我々は力強い手で、戦い抜く、フッラ(フレー)!
いつも国民を護り、あらゆる敵を常に物ともせず、
祖国の為に戦う準備をしながら!
ウインナ・ワルツについて
19世紀初頭、新しいダンス"ワルツ"がウイーンで爆発的に流行し、人々は夜を徹して踊り明かした。ある記録によれば、1809年のある夜、なんとウイーン市民の約4分の1の人達が踊り明かしたという。なぜ、これほど流行したかについては、以下の理由が考えられる。
- 時の宰相メッテルニッヒがフランス革命の余波をウイーンにもたらすまいとして、人心を政治からそらすために奨励したこと。
- ワルツが楽しくセクッスアピールにあふれていたこと。それまでのダンスは、男女が一定の間隔を保ち、身体が触れるのは指先くらいであった。一方、ワルツは男女が身体を密着する踊りであり、官能的であった。また、早いリズムで回転しながら踊るので、女性のスカートが広がり(当時はロングスカートであったが)、見物する男性の目にも楽しい踊りであった。
このワルツの代表的作曲家がヨハン・シュトラウス親子であり、「会議は踊る、されど会議は進まず」といわれたウイーン会議を背景に、この時代を描いたのが、音楽映画の古典「会議は踊る」(1931独)である。